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8.ジョードプルに到着

列車に乗り込むのは良いのだが、どの車両かが分からない!
インドの列車は、30両以上あります。とにかく長い。
そして不親切な事に、ちゃんと順番に車両番号を書いてくれてない。
各車両に紙が張り出され、座席番号と氏名が書いてあります。

まるで、合格発表で自分の番号を探すように・・・。

時間はたっぷりあったので、何とか自力で見つけ出せました。
注:これは、翌朝にジョードプルにて撮ったものです。
ユウキもちゃんと見つかったようです。
インドの列車は、クラスが違うと車両間を移動出来ません。
つまり、走り出してしまったらユウキとは会う事が出来ません。
まぁ、良いんだけどね、別に!

1等の次に値段が高い僕の車両は、やはり見るからにインド人でもそれなりに金持ちそうな人達でした。
そして、僕のシート(ベッド)は2階でした。本で読むと安全上2階が良いとあったのですが、どう考えても失敗でした。荷物が置けません!
1階のシート下には、そいつが荷物たっぷり押し込んでるし・・・。
寝ようにも狭くって、夜中にまた起きてしまいました。皆が寝ているのを確認し、隣のシート下に強引に自分のバックパックを詰め込みました。

はぁ、やっと寝られる!

僕が起きた時には、既に周りの人間はざわざわしてました。
どうやら、終点のジョードプルらしい。
11時間にも及ぶ初の深夜特急であったが、終わってみれば何て事は無かった。
列車を降り、ユウキを探す。

アレ!?何処行ったアイツ、見つかんねぇや!

まぁ、良いか!また後で電話でもしてみよう!
あっ、しまった!肝心な事を忘れてた!

実はデリーで、僕がネパールに行くかもしれないと言ったら、ネパールの歩き方をくれると言っていたのだ!もう要らないからって。
あぁ、もらい損ねた・・・。
さて、今からどうしようか?まずは、今夜泊まるところを確保しなくては!

駅前には大勢の呼び込みの輩がいます。同じ値段の中から、僕は適当に一人のオッサンを指名し、そいつのリクシャーで宿まで向かった。
基本的に、インドではこれの繰り返しです。駅に着いて、大きなバックパックを背負っていれば、必ず誰かが宿まで連れて行ってくれます。まぁ特にインドの場合、ボッタクリには要注意ですが!

宿について中を先に見る。200ルピーでこれだったら良いんじゃないかな!?
僕は他を探すのが面倒な事もあったが、そこの宿を即決した。
真ん中の目つきの悪いのが、ココへの斡旋者のリクシャーワーラーです。

外に出ようとすると、呼び止められる。

「どこ行くんだ?」
「いや、別にまだ決まってない!」
「メヘランゲル・フォートはどうだ?景色が良いし、ブルーシティを一望できるぞ!」

なるほどね!
ジョードプルは家の壁や屋根に青色を多く使っており、砦の頂上から見ると青い街、つまりブルーシティが見られるのです。
ちなみに、ジャイプールはピンクシティです。

「いくらだ?」
「500ルピーだ!」
「高い!じゃぁ、いい!歩いて行く!!」

値切り交渉開始!
ハナっから歩いて行くつもりなどありません、ってか歩ける距離じゃないし・・・。
結局、200ルピーで手を打ちました。

それにしても遅っそいリクシャーでした。駅からは気が付かなかったが、坂道が全く登れません。

少々時間がかかるが、何とか頂上に着き写真を撮る。
そんなにキレイな青には見えないけどなぁ・・・。
有名な観光地こそ、実際に行ってがっかりする事も多いものです。
「名物に美味い物なし!」これと同じような感じでしょうか。

十分に見たし、写真も撮ったしそろそろ帰ろうか!
ワーラーが、最後に写真を撮ってくれると言う。そんじゃ、お言葉に甘えて!

にこやかに写真を撮り、さぁ帰ろうかとリクシャーに戻ろうとする。
そして、その後に事件は勃発した!!

7.強者あらわる

ニューデリー駅には、デーパックのアドバイスもあり早朝の始業前に行った。
8時半からなので、8時過ぎに・・・。
すでに場所は分かっているので、スタスタと歩いて行く。しかし、やはりその途中にはインド人どもの邪魔が入る。適当にあしらいながら、事務所に入り順番を待っていた。

すると、歩き方を片手に持った青年がいた。話しかけると、今朝ネパールからデリーに着いたところだと言う。彼の名前はユウキ、大阪の大学生4年生で就職活動を諦め、旅に出たそうな・・・。
デリー滞在は1日のみで、そのまま次なる街のジャイサルメールに向かうらしい。
じゃぁ、途中まで一緒じゃん。
僕はその途中のジョードプルに行こうとしていた。終点はジョードプルなので、彼はそこからまた乗り換える事になる。

2人して、電車のチケットを買う。僕は2等のAC-sleeperで、彼は2等のnon-AC-sleeper。要はエアコンありなしの寝台車です。
値段差は確か200ルピーくらいだったような・・・。僕のチケットが960ルピーだったのは覚えています。とにかく、インドの列車は安い!そして、1等と一般自由席とでは、何倍もの価格差がある。
まぁ、一般自由席の凄まじさは後程・・・。

無事に切符を購入できた我々は、その日1日共に行動した。列車の出発は20:30であったので。
僕は自分の荷物を、そのままパヤルに夜まで預ける事が出来る。しかし、彼はどうしようか困っていた。いいよ!俺と一緒に預けちゃえよ!!
僕の勝手な思い込みだが、デーパックに言えば少々の事なら聞いてくれそうな気がしていた。まぁ、案の定大丈夫であったが。

2人して、デリー最後の1日を過ごす。
列車の出発駅はニューデリー駅ではなく、オールドデリー駅であった。

「ちょっと、オールドデリー駅の下見に行こうか!」
「良いですよ!でも、まず飯食いましょう!」

彼の提案で、パヤルのすぐ近所にある「オクラ丼」の店に行った。地図を見ながらでも中々見つからない。えっ、ココじゃないだろう!?実はソコでした。
到底、飲食店とは言えないような外見。しかし、壁に日本語で「オクラ丼」と書いてある。
なんだか、怪しいなぁ。歩き方には絶賛されていたが・・・。
注文を聞きに来た兄ちゃんが、そのまま厨房に入ってガサゴソしてる。
えっ、オマエが作るの??
少々待たされて、オクラ丼が出て来た。さぁ、いざ実食!!
見た目は決して良くは無い。で、気になる味の方は?
これがね・・・、めちゃくちゃ美味かった!日本でもやれば良いのに、本気でそう思いました。

我々がオクラ丼を待っている間に、もう一人日本人がやって来た。
彼の名前はヒロキ。彼もまた、世界一周をしているとの事。
そういう人間をそれまでに何人も見て来たので、僕の中でさほど驚きは無かった。
しかし、話を聞くにつれ驚きが増強していった。

「へぇ〜、ずっと陸路でここまで来たんだ!スゴイねぇ。」
「じゃぁ、やっぱりネパールからはバスだったん?」
「いいえ、チャリです!」
「・・・。」

我々2人は唖然とした。と同時に、失礼ながらコイツちょっと頭おかしいんじゃねぇか?と真剣に思ってしまった。
さらに話を聞くと、日本から韓国・釜山に渡りそこからチャリ。そして、さすがに北朝鮮は無理なのでフェリーで中国へ。途中飛行機も使いながらインドまで来たと言う。
世界一周を自転車で!スケールがデカ過ぎる。ものすごい、壮大な計画だ。

これを書いている1月末現在、彼はエジプトにいるらしい。彼のHPを見たのだが、他にも世界一周チャリダーの友がいるらしい・・・。いやはや、スゴイもんだ!

ヒロキとはそこで別れ、僕とユウキはオールドデリーへ!
まぁ、下見と行っても大体の場所が分かれば良い訳で・・・。特に行くところが無かったので、挙げただけです。

行きは地下鉄に乗って行き、帰りはサイクルリクシャーに乗ってメインバザールまで帰ってきました。
確か値切りに値切って、100ルピーだった様な・・・。
しかし、近道で入り込む路地は大混雑。この華奢なオッサンが僕ら2人を乗せて一生懸命ペダルを漕ぎます。
まぁ、僕らには時間がたっぷりあったので良かったのですが、結局1時間以上かかりました。行きは15分くらいだったのに・・・。
なんだか、値切り過ぎたのが申し訳なかったです。途中ユウキは、オッサンの肩を揉んであげてました。ウン、良い心がけだ!僕は・・・、インド人に対してはどうも先に敵対心が芽生えてしまっていた。イカンなぁ、これじゃぁ。


ただ後ろに座ってるだけで、退屈だったのでは?
そう思われるかもしれませんが、ボーっと周りを見てるだけでも結構楽しめたりします。小学生の下校時間かな、スクールバスならぬスクールリクシャー。
何故だか分かりませんが、子供たちが本気で喧嘩してました。手を出す訳ではなく、ペットボトルの水をかけ合ってました。終いには、ワーラーのオッサンに水がかかって、みんな怒られてました。それは、端から見れば滑稽な様子でした。

こんな状況なら、普通誰しもイライラしますよね!でも、ここでのんびり構えないとイケナイのがインドなんでしょうね。
まぁ、オッサンはかなりイライラしていたと思うが・・・。

あれこれしているうちに丁度良い時間になり、パヤルに荷物を取りに行きます。
デーパックにも、ちゃんとあいさつをしました。

「何かあったら、いつでも電話して来てね!」

それを聞いたからという訳ではないが、僕はその後デリーを出てからもデーパックにヘルプコールをかけた。何処の国に行ってもそうなのだが、頼りになるのは日本語の分かる現地人である。デーパックには本当に世話になった。


駅では東洋系の女の子と出会う。話しかけたら韓国人だった。その子も一人で、僕らとは違う行き先だった。時間もあったので、3人でまた旅の話を。そう言えば、この子から連絡無いなぁ・・・。
ユウキとは列車は同じだが、車両が違う。一旦、ここでお別れ。

さぁ、いよいよインドで初めての列車。そして、日本でも乗った事の無い寝台車に乗り込みます。

6.騙し騙され

「ちょっと待ってくれないか?彼女はここのスタッフじゃないんだ!」

僕は彼に弁解し、クニも一緒になって説得してくれた。
しばらく我々がアタフタしていると、何故だが彼は笑い出した・・・。

「ジョークダヨ!僕ハ、ココノオーナーだよ!」

僕らは唖然とした。しかもこいつ、なかなか流暢な日本語を喋ってるし・・・。
って事は・・・、

「あんたがデーパックなのか?」
「いいや、違うよ。彼もここのスタッフだけどね・・・。」

ん?なんだかおかしいぞ。確かここのオーナーはデーパックのはずだ。
じゃぁ、一体コイツは誰なんだ?
そんなやりとりをしていると、髭を生やしたもう一人のインド人が入って来た。
また、訳の分からん奴が入って来た・・・。
我々も、いい加減に訳が分からなくなり少々パニックに陥っていた。
すると、髭のオトコは僕を見るなり手を差し出し、こう言った。

「ハジメマシテ!」

断る理由も無く、僕は彼の手を握り握手をした。
そして、なんだか僕を見てニヤニヤしている。なんだコイツ、気持ち悪りぃなぁ・・・。

「マダ分カリマセンカ、クワサン?私ガ、デーパックデス!」

えっ!コイツがデーパック本人なのか?でも、初めて会ったのに僕の名前を知ってる・・・。
そうである。
彼らは我々をカラかって遊んでいたのだ。もう一人は彼の友人で、同じくゲストハウスをやっているらしい。
ずっとメールや電話のやりとりだったが、ようやくデーパックに会えた。
しかしまぁ、何処にでもいる有り溢れたインド人顔である。この後、色んな街に行くのだが、アレ!今のデーパック?な~んて間違える事がしばしばあった。

ジョーク?というか、とにかくインド人は人を騙すのが好きなのだろうか?まぁ、生活の為にやっている人がほとんどなのであるが・・・。
実はDTTDCでユキとあった後、パヤルで話をした。

「あのさぁ、教えて欲しいんだけどアソコって本当にDTTDCなん?」
「あっ、アソコは偽物ですよ!」

あぁ、やっぱり・・・。場所も微妙に歩き方の地図と違ってたし・・・。

「あの時ね、本当はこの事をクワさんに伝えたかったんです。でも、なかなかタイミングがなくって・・・。」
「僕はおかしいと思って何も金は使わなかったけど、君は騙されたのか?」
「はい。」
「じゃぁ、なんでまたあそこに?」
「高くついたけど、いい人ばかりだったし・・・。またあのときのドライバーに会いたくって!」

ん~、何とも人が良いと言うかアホと言うか・・・。でもまぁ、彼女が納得してるんなら良いのであるが。

もしデリーに行く方がいらしたら、参考にして欲しい。
DTTDCとはDelhi Tourism Transportion Development Corporationの略で、デリーの観光開発公団です。公団と名が付く通り、ここの人間が外国人に無理やりその場で法外な値段のツアーを組ませる事はありえませんので・・・。
インド人に導かれて行く「良い旅行会社」と言うのは大抵がボッタクリであり、連れてきた人間にバックマージンが渡るようになってます。
このシステムは安いゲストハウスもそうなんですが、夜遅く宿に困った時これを逆手に取り利用することも出来ます。

しかし決して油断は許されない国、それがインドなのです。

デリーに来て4日目。
そろそろ次なる場所に向かわなくては・・・。ルートであるが、あのニセDTTDCに組んでもらったプランをそのまま自分で手配する事にした。デーパックにも相談したが、まぁ無理はないだろうとの事だった。
しかし、年末が近づくにつれて列車の手配も厳しくなるだろう。今ならその場で全ルートの列車を押さえられる。でも、僕はそれはしたくはなかった。
写真はデリーでは数少ないうちの一つの観光地、ラール・キラーである。僕が行ったときは定休日でした。まぁ、入場料250ルピーは高いなぁと思っていたのもあったが・・・。

そうなのです。これが僕の考える理想の旅です。
日付ごとに予定を決め、この日はココ、次に電車に乗ってココ・・・、なんて最初に全部決まってしまっているのは単なるツアー客と同じだ。

とにかくトラブルもあるだろうが、この先も「行き当たりばっ旅」で行こう!
そう心に誓い、先日下見に行ったデリー駅2階の切符売り場に向かった。デリーから出る1枚の切符だけを買いに・・・。

5.インドの日本人

部屋で彼からの連絡を待つことにした。
しかし、気が付くと眠ってしまっていた。時計を見ると14時を過ぎていた。

しまった!

慌てて携帯を確認するが、着信は無かった。もう少し待つか・・・。
しかし、一向に掛かってこない。
それではと、意を決して僕の方から彼に電話してみた。
しかし、電話に出ない。何回か繰り返してみた。

ここでふと我に返る。僕は騙されたんじゃないのか!?
それとも、安請け合いをしたは良いが、面倒くさくなったか!?
いずれにしても、その時の僕はそんなに腹は立たなかった。むしろ、インド人はそんなもんなのかなぁ~、という参考にもなった。まぁ、実被害があったわけでもないし・・・。

クリケットの事は諦め、再び街に散策に出掛ける事にした。
来たるべく電車移動に備えて、切符売り場の下見に行った。ニューデリー駅2階にある外国人専用の窓口だ。
歩き方や数々のブログで有名なのだが、我々外国人はなかなか普通にココまで行かせてもらえない。必ずと言って良いほど、インチキ・インド人によるインターセプトが入る。
「今日、2階の事務所はクローズだ。」
「今日は立ち入り禁止だ。」
事情を知っていると、そんなワケねえだろっ!って言いたくなる。そして、彼らは決まって紹介料が貰えるインチキ旅行会社に連れて行こうとするのだ。

言い寄ってくるインド人どもを跳ね除け、なんとか窓口を発見。申込用紙もゲット出来た。

さぁて、次は・・・。
駅前で歩き方を広げていると、また捕まる。
この国では、立ち止まって地図を見ていると必ず声を掛けられます。バザールでは、普通に歩いているだけでも5メートル毎に必ず声を掛けられます。
何故かって・・・?それは、僕がリッチな東洋人だから!でも、これはホントですよ。
日本人であれば、誰しもインドに行けば金持ちになってしまいます。

話を戻すと・・・。
今回声を掛けて来た男も、午前中と同じくDTTDCに連れていこうとしていた。地図は貰ったのだが、電車の時刻表も貰えるとの事。あぁ、そうなんだ。
DTTDCはコンノートプレイス内に、全部で4つある。まぁ、同じトコにはならないだろう・・・。
僕はどうせ暇なので、また彼に付いて行く事にした。

建物に到着。
あっ、さっきと一緒じゃん!!

まぁいいやと、恥ずかしながらも中に入って行く。
「すみません!また来ちゃいました。」
そこには学者もまだいた。二人とも、キョトンとした顔で僕を見てました。時刻表だけ貰ったら、もうスグにここを立ち去ろう。そう思ってました。
少々、立ち話をして頃合を見計らう。

すると・・・。

"Hello!"

スグに日本人と分かる様な「ハロー!」だった。若い女性の声・・・。
僕は振り返り入口の方を見ると、そこに立っているのはユキだった。

「えっkuwaさん、どうしたの?すごい偶然ね!」
「いやね、こいつに連れて来させられたんだ・・・。」

僕は隣りで何の事?とすっとぼけてるオッサンを指差した。

「私ね、リシュケシュに行く前にここでツアーを組んだの。もう2ヶ月前かな。」

へぇ~、そうなんだ。その時のドライバーが凄く感じの良い人だったので、会いに来たのだという。カウンター側の2人ともユキの事を覚えていた。えっ、学者はその時もいたの?少々不思議に感じた。今度は学者に矛先を向けてみた。
「その時からずっとインドにいるんですか?観光ビザじゃないの?」
「いや、観光ビザですよ。6ヶ月毎に帰国してます。」

4人で話が盛り上がってきてしまったので・・・。インチキインド人は知らぬ間に姿を消してました。
チャイ飲む?な~んて展開になってしまい、少々長居してしまいました。
携帯に電話したら、ユキご指名のドライバーは近所に居るとの事だったので、ユキはそこまで会いに行くと事務所を出て行きました。

それにしても、なかなか行動的な子だ・・・。
僕もそれ以上長居するのもなんなので、その場を去りました。

外に出ると、またリクシャーの客引きの嵐。午前中に乗ったのでもう値段は知ってます。
よし、一人で乗ってみるか!
適当に良さそうなリクシャーワーラー(車夫)を選び、行き先を駅前のメインバザールと告げた。

"How much?"

僕が言ったのではない。ワーラーの第一声だ。
おかしいだろ、それ!なんでコッチが先に値段を言わなきゃならんのだ?普通、日本人には理解できないですよね・・・。
20ルピーだという事を知っていたのだが、何とか先に彼に値段を出させた。

「100ルピーでどうだ?」

フフっ、見破ったり!こいつ5倍も吹っかけて来やがった。何度かやり取りしたら、なんとか30まで下がった。その後も頑張ったのだが、20ルピーにはならなかった。

まぁ、良いか・・・。10ルピー、たったの20円の差だし。
しかし、僕はこういうやりとりを何時しか楽しむようになっていた。
初回は10ルピー分、僕が折れた。しかし、それは他のワーラー達に失礼なのかなぁって・・・。
彼らは外国人を見れば、目の色を変えて臨んでくる。
まぁ、すべて言い値で承諾する外国人はいないだろうが、お互い徹底的に言い合っての駆け引きは戦いであり、それが彼らの仕事なのだ。それに応じるのが我々客と考えます。
日本人はこの辺に弱いのかなぁ・・・、と僕は思う。(大阪のオバチャン除く。)

隣りのワーラーに、良いなぁアイツはあんなアホな日本人捕まえて・・・。
なんて、絶対に思われたくないし・・・、僕はね!



宿に着いたら、またまた日本人が増えてる。
それにしても、パヤルは良く日本人が集まる。これもmixi効果なのでしょうね!
で、僕の隣りにいるのがクニ。千葉から来たばかりで、今回は2週間の滞在との事。
次の日には一緒に飯食って、飲みにも行きました。今回の旅でのベストフレンドは彼でしたね!
だって、1ヵ月後にまたバンコクで会って一緒に遊んでましたから・・・。

話は戻って、この4人で談笑していたところ、スタッフでは無いような見知らぬインド人が入って来た。
写真でお分かりになるだろうか、一番左の彼女はカウンター内に入り込んで共有のPCを使ってました。
そのインド人は彼女に向かってこう言った。

「泊まりたいんだけど、シングル空いてる?」

たまたまそこには我々4人しかおらず、スタッフ不在だった。まぁ、ちょっと待ってもらおうか・・・。そんな事を話していたら、ノリの良い彼女は応対し始めてしまった。

「シングルですよね、空いてますよ!」

鍵がぶら下がっているのと宿帳を見れば、誰でも分かる単純なシステムなんです。
でもなぁ・・・、勝手にやっちゃマズいだろっ!
我々があぁだこぅだ相談していると、それを見ていたインド人が突然キレ出した。

「俺は客だぞ!シングルルームを用意しろ!」

目をひん剥いて、大声で怒鳴った。
我々はドン引きである・・・。あぁ、この事態どうやって収拾しようか?
やはり、明らかに年長者である僕は少々責任感を感じて彼に立ち向かっていこうとした!

4.デリーでの出会い

朝食を食べに出かけたのだが、まぁ時間的にも遅い。そんなに腹も減っていないし、昼食兼用で済ませる事にしよう。
周辺をブラブラ歩いて、僕は宿に戻った。
正確に言うと、この間にも数々のインド人から声を掛けられる。とにかくしつこい!
この数時間で、僕はインド人のあしらい方を習得したようなものだ。

パヤルの受付前には、日本人の女の子が。
僕がインドに来て初めて会った日本人です。
彼女の名前は、ユキ。北部のリシュケシュからデリーにやって来た。
ヨガの先生を目指すべく修行をしているらしく、インドにはすでに2ヶ月滞在している。

「スゴイねぇ~!初めての海外がインドなんでしょ?」
「はい、そうなんです!」
「今まで怖い目に会わなかった?」
「何とか大丈夫でした。」

実に頼もしい大和撫子である。僕は尊敬の眼差しで彼女を見てしまった・・・。

その後も、日本人は次々とパヤルにやって来た。
横浜国立大生の青年。大学を休学して世界一周をしているそうな・・・。
やはり、規模が違う!
横浜国大って沢木耕太郎もだよなぁ・・・、こいつも絶対に深夜特急読んでるんだろうなぁ。
彼とは色んな話をした。ネパールからインド入りしたのだが、次はエジプトに向かうと言う。
あぁ、実に羨ましい。

よし、ココで日本人とばかり話をしていてもしょうがない。僕は昼過ぎにまた散歩に出かけることにした。と言うのも、携帯のSIMカードを入手したかったのだ。
デーパックは留守だったので、スタッフに繋いでもらい入手方法を聞きだした。
彼が言うには、VodafoneかAir Telが良いとのこと。そしてパスポートと写真が1枚いるらしい。
しまった、日本に写真忘れてきた。
今後、VISAを取る際にも、写真は必要となる。折角なのでまとめて撮っておくことにした。

さぁ、はじめてのおつかい!無事にSIMカードはゲット出来るのか??

とにかく駅前に行けば、写真屋や携帯屋があるだろうと歩き出す。
しかし、自分で探してみるが写真屋が見付からない。
その辺のインド人を捕まえて場所を尋ねるも、あまり良い情報は得られず。
ん~、どうしようか・・・!?

そこに救世主登場!
「写真を撮ってから、携帯のSIMカードを作りたいんだ!」
「いいよ!僕が付き合うよ!その代わり、後で一緒にチャイ飲もうね!」
ん?コイツの意図が良く分からん。でも、まぁ利用は出来そうだ。

彼に着いて行き写真屋へ。そして、携帯屋にも行き無事SIMカードをゲット出来た。
ん~、実に良い奴だ!でも、次の難関はチャイだ!
歩き方にも書いてあるのであるが、見知らぬ人間がチャイに誘う場合、中には睡眠薬が入っていて、気が付いたら身包み剥がされているという事件があったそうな・・・。

店に入り、二人で番号の交換をしチャイを待つ。
出てきたのはフツーのチャイ。ん!店もグルなのか??
彼は出されたチャイを普通に飲む。それに釣られて僕もゴクリ!あぁ~、飲んじゃった・・・。
しかし、それは何事も無い普通のチャイで、しかも彼がそれを奢ってくれた。
別れ際に写真を1枚撮る。

「君はもう明日からの予定は決まってるのか?」
「いや、まだ何も決めてない。暫くはデリーでのんびりしようと思って・・・。」
「だったら、DTTDCを紹介するよ!政府の旅行案内所なんだ。役に立つと思うよ!」

特に予定も無いので、彼に言われるがままコンノートプレイスの旅行会社に向かう。
そこには日本語ペラペラのインド人と、何故かそこに居候しているインドの研究をしている日本人の若い学者がいた。
まぁ、折角なので僕はプランを考えてもらった。
デリーから2週間、主な観光地を回り最終目的地はバラナシ。後は自分で何とかする。という事だった。
その2週間の見積もりが・・・、1100だって!
「えっ、マジで2週間のツアーが、たった1100ルピーで良いの?」
「いいえ、1100ドルです。」
ふざけんなよ!おい!!そんなに出すんだったら、自分で全部手配するよ!!
と、喉元まで出掛かったが、連れて来てくれた彼がいる手前そうも言えず。
今日は土曜日だから、また月曜日に来るよ!とお茶を濁した。

その後は、彼と一緒にオフィスを出て一服。
「あの値段どう思う?」
「僕は良く分からないなぁ。だって、こんなツアーなんか使わないし・・・。」
そりゃそうだ。まぁ、1件目の参考価格としておこう。
ずっと彼には僕のお供をしてもらった。申し訳ないと思いながら彼に尋ねる。

「今からどうするの?何か用事があったんじゃないの?」
「昼から友だちとクリケットをするんだ!」
「ホント!僕も行っていいかなぁ~?」
「えっ、クリケットが見たいの?」
「そうなんだ、僕は大学時代にクリケットをしてたんだ。」

この一言で、彼との距離はより一層縮まった。彼も是非一緒に行こうと誘ってくれた。
いったん家に帰って支度をするというので、彼と一緒にリクシャーに乗った。
2人で40ルピー、さすがに現地人がいると交渉は早い。
僕は先に降りて宿に向かった。
「じゃぁ、14時にまたここに迎えに来るから!着いたら電話するね!」
「分かった、ありがとう。で、もう一つ・・・、この辺に美味い食堂は無い?」
「あぁ、ここが美味いよ!」
彼の指差したところは、見事にパヤルの目の前の小汚い食堂だった。

時計を見ると13時前。ちょうど腹が減った頃だった。
ここはやはり、ガッツリとインド初めてのカレーでしょう!頼み方は良く分からなかったのだが、なんとか通じた様だった。

所謂ターリーと呼ばれるもので、数種類のカレーとライスかナンが付く。これはヨーグルトも付いてました。これで確か120ルピーだったと思う。とにかく安い。

で、食べようと思ったら・・・。スプーンが無い!
そうか、これがインド式か・・・。ご飯を右手ですくい、カレーの中へ、それをこぼさぬ様に口へ持っていく。
あぁ、難しい・・・。
って思っていると、見かねた店員がスプーンを持って来た。
なんだ、あるんじゃん!最初っから持って来いよ!
見た目はともかくとして、とにかくここのカレーは美味かった。まぁインド一発目でしたから・・・。

インド初のカレーを食べ満足した僕は、そのまま向かいの宿に戻った。
そして、久々のクリケットにウキウキしながら、部屋で彼の連絡を待っていた。

3.神聖なる野良牛

昨夜には何も無かった通りに、人が沢山いるではないか。そしてバザールに相応しく、数々の露天が軒を連ねている。何とも活気に満ち溢れた風景であった。


なんだ、昨日は夜遅かったから人がいなかったんだ。それにしても、この変わり様は凄い。
さらに驚いた事がもう一つ・・・。


いやいや、カメラ目線でそんな顔をされてもなぁ・・・。
オマエ、なんでこんな街中に迷い込んだんだ?ココはインドの首都ニューデリーのメインバザールだぞ!いくらなんでも、こんな所に牛がいる訳ないだろ・・・。

僕のその疑問は、愚問であった。
コイツだけではなく、至る所に野良牛がいるのである。犬・猫なら分かるが、牛である・・・。


彼らは決して迷い込んでココに来た訳ではなく、元からココにいるのである。牝牛は牛乳が取れるので家で飼われている。しかし、インドでは神聖な生き物として崇められている牛は、食用になる事はない。よって、価値の無い牡牛は街中に放たれるのだ。

バザールにて問題になっているのが、牛の万引き。特に野菜や果物が狙われる。
店主のオバさんが、目を離した隙にリンゴを頬張る。見つけたオバさんが木の棒で思いっきり背中を殴る。しぶしぶ、牛は後ずさりして去っていく。
この対決は、見ていてなかなか面白い!
そして、地面に落ちたリンゴや牛が舐めたリンゴを、そのまま台に戻す・・・。

おいおい!そのまま売るのかよっ!

これがインドなのであろう。皆さんも露天で野菜・果物を購入の際はご注意下さい。
まぁ、しばらく居ればそんな事も気にならなくはなりますがね!
不衛生と言えばそれまでなのですが、それを楽しむのがインドなのです。

増殖する野良牛に対し、インド政府も幾度と無く対策を講じているらしいのだが、一向に減る気配はないらしい。
そしてこの後、何処の街に行っても、この野良牛達は初めに僕を迎え入れてくれた。

2.念願のインド上陸

夕方にタイのスワンナプーム国際空港を発ち、僕は予てからの夢であったインドに降り立った。
デリーのインディラガンディー国際空港だ。
飛行機を降り、イミグレーションも難なくパス。
通常、イミグレにおいては撮影不可なのであるが、何故かココは皆写真を撮りまくっている。ご他聞に漏れず、僕も撮って見た。何とも、インドらしい光景であった。

税関はノーチェックそして、空港到着ロビーに出た。
そこには、おびただしい数のインド人たちが・・・。因みに僕の到着は22時半で、すでにこの時は23時を過ぎていた。
ネームカードを持ったガイド、そして客引きのタクシー運転手・・・。
とにかく凄い人だった。なんだか、成田空港に降り立ったヨン様の気分になる。
柵の向こうで皆が僕にアピール・・・、こういう経験は滅多に出来るものではない。

しかし、僕は予め宿と送迎は日本から手配していた。
初めてのインドという事もあり、初日くらいは安全策を取った訳だ。それもmixiで知り合った安宿パヤルのデーパックに全てを任せていた。日本語の会話は出来るが、文字は分からない彼。その為に、これまで数回彼とは英語でやり取りしていた。

大丈夫かなぁ!?奴はちゃんと、ドライバーをよこしているんだろうか??

その思いは杞憂に終わった。僕の名前を持った青年がちゃんと立っていた。
しかし、成りすましの可能性もある。人のプレートを盗み見て客をかっさらうドライバーも居るらしいので・・・。
恐る恐る青年に近づき、声を掛ける。
「パヤルの人間か?」
「はい、そうです!」
「誰に頼まれてココに来た?」
「デーパックさんです。」
よし、彼はどうやら本物のようだ。その後、彼に付いて駐車場まで行く。

車に着いて、さて助手席と後部座席とどちらに座ろうか!?インドに来て第一の選択に悩まされる。
すると、彼は助手席の方を勧めてくる。断る理由も無く、僕はすんなり彼の指図に従った。
見知らぬインド人と2人、これから宿までの40分のドライブである。
車内の会話は・・・、さほど困る程ではなかった。
まぁ、ほとんどが彼の質問攻撃であったが・・・。

しかし、どうも彼の運転が危なっかしい。自分では、「安全運転でしょ?」なんて言ってるが、とてもそうは思えなかった。
すると案の定、信号のない交差点で右から来た大型バスにぶつかりそうになり急ブレーキ!
さすがに僕も、一喝!厳重注意を与えておきました。

それにしても、宿までの道中は何もない。建物も夜とは言え人影も・・・。
そして、たまに牛や犬を見かける。ひょっとして逆方向の田舎に行ってないか?
確か取ってある宿は、ニューデリー前のメインバザールにあり都会のど真ん中のはずだ。
時間が遅かったせいもあるが、宿に到着しても周りには何もなくとても中心地とは思えなかった。
本当にココなのか??
頭に疑問がよぎるが、ボロいながらもちゃんと「パヤル」と書いてある。

まぁ、今日は遅いし取りあえず寝る事にしよう!
この近辺は、明日ゆっくり探索しよう!!
部屋に通され、インドの一泊目をこのパヤルの1室にて過ごす。


そして、翌朝。
ロビーでチャイを頂いてから、朝食を取るべく外に出た。
すると、信じられない事に、昨夜とは全く違う光景がソコには広がっていた。

1.まえがき

今回の長丁場の放浪の旅。
これを旅行記として、ここに書き込んで行きたいと思います。
本来であれば、ブログではなく自作のHPの方が妥当なのでしょうが・・・。
無料であるし、使い慣れてて楽チンだし・・・、このままBloggerの別ブログにて立ち上げさせて頂きます。

さて、今回の旅。予定ではこのようになっておりました。
01DEC2010  NH3112 HIJ07:55-NRT09:25
01DEC2010  NH953  NRT10:50-BKK16:05
03DEC2010  FD3796 BKK19:50-DEL22:40
03JAN2011  FD3783 CCU12:20-BKK16:40
11JAN2011  FD3721 SGN09:45-BKK11:15
13JAN2011  NH174  BKK22:40-HND06:30
14JAN2011  NH673  HND07:50-HIJ09:20

日程からもお分かりの通り、メインはインドであります。
12月3日にデリーから入国し、1月3日にコルカタから出国する。
そして、1月3日にバンコクに戻った後には、1月11日までに陸路にてホーチミンを目指す。
だた、それだけでした。

詳細は現地に行ってから、昔の旅の感覚を取り戻しながら探って行こうと目論んでおりました。
デリーからコルカタ、そのまま電車にて途中下車しながら行っても、2週間もあれば着いてしまいます。
1ヶ月あるわけですから、それはそれはかなりの寄り道が出来ます。
まぁ、さすがにムンバイ・チェンナイ経由でインド1周というのは面白みは無いので・・・。

今回は予行演習のフィリピンと、12月1日から3日の場慣らしバンコク編は割愛させて頂きます。

この45日間、本当に様々な事がありました。事件やハプニングもありました。
国境を越えた出会いもたくさんありました。
楽しかった事、辛かった事・・・、僕の財産にもなったこれらを全部ひっくるめてこれから記していこうと思います。
そして、今回写真もたくさん撮って来ました。
中にはカメラを向けられないような、ショッキングなシーンもありました。それらは文章のみにて・・・。

さぁ、これからヒマを見つけて執筆活動です!!


参考までに、周辺地図を・・・。