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15.何となくインドに慣れて来た

キャメルサファリを何処に依頼しようか、僕は街中の旅行会社を回っていた。
地図を見ながら、僕は街中のサンセットポイントというのが目に留まった。
こんな大平原でみる夕陽は、さぞかし絶景なのだろうなぁ・・・。

そんな事を思いながら、目線を持っていた地図から真横のカフェにずらした。
そこには、若い男女が向かい合って座っていた。
そして、明らかにその二人は周囲から浮いていた。

女性は西部の民族衣装を着た女性、日本人かどうか良く分からない。
そして、男の方は・・・、あれっ、ユウキじゃん!!

デリーで別れたままジョードプルではぐれてしまった、アイツ・・・。

「何しとん!?」
「いやぁ〜、インドは狭いっすねぇ〜!」

狭かねぇよ!それにしても、すごい偶然だった。
彼から聞くと、彼女はコチラに住み民族楽器の勉強をしているらしい。
どうりで、日本人離れしてるワケだ・・・。

「そうそう、俺まだお前からネパールの歩き方、貰ってないぞ!」
「あぁ、渡しますよ!ウチまで来てくださいよ!」

彼の宿は、長距離バスストップのすぐ横の「タイタニック」というところだった。
名前からして想像がつかないが、韓国人ばかりのコリアン・ゲストハウスであった。

「じゃぁ、後で行くよ!」

そう言い残して、彼らと別れる。その後、僕の旅行会社はすぐに決まった。
夕方前からフォートに登ろうとして、僕は街中の坂道を汗だくになりながら登っていた。

すると、また一人のインド人に声を掛けられた。彼の名はアルパチーノ・・・、本当かよっ!
彼は僕にレンタルバイクを勧めてきた。

「いや、いいよ!今回、国際免許取ってきてないから・・・。」
「ダイジョウブ!日本デ乗ッテルデショ〜。OKヨ〜!」

本当かよ。でも、ハワイじゃ日本の免許証で借りられるって聞くしな・・・。
そもそも、その考え方自体が間違いであったのだが。
でも、まぁ何かあったら全部コイツのせいにしちゃおう!英語も分からんフリして!

値段は1時間100ルピー。高っけぇなぁ〜、もちろん日本に比べれば格安だが。
僕は4時間借りる事にした。
何故か一緒にスタンドまで行って満タンにして、再度店に戻ってきた。

「ジャ、パスポートヲアズカッテオクカラ!」

えっ、まじで!大丈夫なんかなぁ?4時間とはいえ、パスポートが自分から離れるのはこのときだけだったかな!?

じゃぁ、行って来ま〜す!の前に記念撮影。
撮影は、アルパチーノに頼んだのだが何故か隣の絨毯屋のオッサンも・・・。
それよか、近づき過ぎだって!!

もう一枚。
撮ってもらっておいてなんだが、インド人は写真を撮るのが苦手だ。
風景をバックにカメラを渡して、写してくれと言うと、大抵人物ドアップで写す。
まったく、もう・・・。

フォートに登った後、僕は街中から少々離れたサンセットポイントの丘に向かった。

途中、興味本位で砂漠方面へ疾走してみましたが・・・。

地図は見なくとも、上を見上げてれば到着するだろう!そんな呑気な構えで丘を目指しました!
でも、結局無事に到着出来た。

夕陽が落ちるには、まだ少々時間があった。
すると、そこには妙な楽器を持った爺さんが・・・。

彼とはそこで色々と話をした。この楽器の名前は忘れたが、ラジャスターン地方に古くから伝わる楽器らしい。
もうすぐ日が沈む、僕の横で、彼がとても心地の良いヴァイオリンの様な音色を奏でる。あぁ、実に気分が良い!癒される!最高だ!

だから爺さん、頼むからあの言葉だけは言わないでくれ!
僕は、心の中でひたすら祈った。

30分くらいしてから、彼は帰るという。
そして彼はこう言った

「私はあなたの為に弾いてあげた。マネー!」

あぁ、やっぱり言いやがったよ!
僕は嫌な予感がして先に聞いてました。プロなのか?って聞いたら、コレだけじゃ飯は食えないし趣味だと言っていた。

「アンタ、プロじゃないって言ったよな!勝手に弾いておいてそりゃないだろ!」
「僕は、絶対に払わんぞ!」

いつもの決め台詞で締めました。爺さん、ビビってしまってそそくさと帰って行きました。

さぁ、もうすぐサンセットだ!
しかし、その時とても重大な事に気が付く。さっきも思ったのだが、このバイクってライトは点くん?確認してみると、バッチリ点かない!思った通りだ・・・。
これじゃ、暗い夜道あの野良牛どもを避けながらは走れない!
サンセットを前にして、下山を決める。勇気ある撤退だ!

そして、下山しそのままタイタニックに向かった。
フロントで部屋を聞き、行ってみると不在。屋上のレストランに行ってみると彼はいた。
ビビンバ食ってやんの。めちゃくちゃ、美味そうだった。
それに、韓国の若い娘多いし!
そこで僕は思った、どうもユウキは僕よりも引きが強いなぁ〜って!

それにしても、ここの野良ウリ坊にはビックリした!

本を貰って、すぐにレンタルバイク屋に戻りました。
周りの韓国人はビックリしてましたね!ユウキの友達はなんでバイク持ってるん?って・・・。

無事にバイクを返却し、アルパチーノからパスポートを奪還しました。
異国でバイクを運転、原付とはいえ良い体験が出来ました。何事も無くね!

14.チップとは??

砂漠の寝床を後にし、我々は2時間程ラクダに揺られ帰路に着いた。
その道中、色んな事を考える。


もし、ココで一人取り残されてしまったら、どうやって生き延びるか?とか・・・。
今回、真剣に思ったのが「水」は人間にとって非常に貴重であるということ。
当たり前ではあるが、身を以て実感出来た。

梅津が持って来たのは、およそ10リットル程のタンク。僕が持参したのは1リットルのペットボトル。これで、料理、飲用、洗い物、トイレ、すべてを賄う。
足りるのだろうか?不安ではあったが、見事に丁度であった。さすが、プロであると感心したものだ。

気のせいであろうか、帰りは行きよりも数段早く感じた。
村の手前の道路にて、僕は降ろされる。

「こんなところが終点なのか?」
「ココに迎えの車が来るんだ。僕も一緒に待ってるよ!」

その言葉に少々安心した。こんなところに一人残されても、不安でしょうがない。
そこで、待つ事30分くらいであったろうか。おかげで彼とは色んな話が出来た。


重たい人・荷物が降りたせいか、松浦はとても気持ち良さそうな表情をしていた。
僕らの隣で、大人しく伏せていた。

とても世話になったと思い、僕は梅津に連絡先のカードを渡した。

「僕もアドレスを教えるよ!」

えっ、パソコン使ってるん?疑問に思ったが、彼の言うアドレスは正に家の住所だった。
僕の持っていたメモ紙に名前を書き、住所を書く。
"Umedu..."
まるで、字を習いたての小学生の様にゆっくり丁寧に書き上げる。

そうか、ひょっとしたら彼は本当に最近まで字が書けなかったのかもしれない。
習ったばかりで嬉しくて、僕に書いてくれたのか?
そう思うと、教育の格差を感じつつも微笑ましかった。

「ありがとう!帰ったら、手紙を書くよ!」

その時は、本当に帰国後に彼へ手紙を書く筈だった。しかし、ジャイサルメールを出てからそのメモを無くしてしまった。
あれだけ彼に説教した手前、本当に申し訳ない。

説教・・・!?

それは、そのやり取りの後の出来事だった。
僕は何か彼にプレゼント出来る物はないかと、荷物をさばくっていた。
そうだ、免税店でオマケに貰った「保温マグカップ」、コレが良いだろう!
僕は梅津にそれを渡すと、なんだか不満気である。

「それより、チップ頂戴よ!」

あぁ〜キタ!やっぱりお前もかっ!!
そもそも、チップと言うのは「心付け」である。してもらったサービスに対して、された側の自由で払う物だ。決して、サービスした側が要求するものではない。
僕は今回のツアーで4100ルピー払うが、彼に入る金額は少ないものだろう。大凡、見当は付く。しかし、それをコチラに言われても困るし、別問題だ。

17歳の少年相手に、マジで説教してました。

「でも今まで、たくさんの日本人が僕にチップをくれた。500とか1000とか・・・。」
「俺は、その多くの日本人とは違う!」
「じゃぁ、お前に1000ルピー払っても良い。でも、シャイタンに払う分から引いておく。それでも良いのか?」

インドの事だから、おそらくそんな事は通用しないだろう。多分、二重取りになる。
でも、彼を説得するため賭けに出た。

「分かったよ。このカップ貰っておくよ!」

何とか納得してもらえた様だ。僕は何回も彼に言った。
「もっと金が欲しかったら、客じゃなくてボスに言え!」
おそらく、今でもヤツが日本人相手にチップを要求しているのは、目に見えて分かる。でも、こんな日本人がいた事を忘れないで欲しい。

その為にも、メモを無くした事がとても悔やまれる。

ジャイサルメールに戻り、数時間ほど時間潰しをして予約していた列車に乗った。
これも、シャイタンに前日頼んでおいたモノだ。
彼のところは実に明朗会計だった。列車代プラス手数料が50ルピー。決して安くは無いが、黙ってもっとボッたくる旅行会社はいっぱいある。
それから、シャイタンに梅津の事を絶賛しておいた。
何とかギャラを上げてやって欲しいものだ。


そして夕方の列車に乗り、僕は次ぎなる街ジャイプールに向かった。






と、次に行くはずだったが、キャメル・サファリの前にもう一つエピソードがあったんだった・・・。
次回、少々遡ります。

13.日本には無い非日常

何を僕はそんなに興奮していたのか・・・。
それは、そこで飼われているヤギが、丁度子供を産み落とそうとしていたのだ。
動物の出産など、滅多に立ち会えるものではない。
僕にとっては非常に貴重な体験なのだが、そこの住人達はそれを横目にしても全く興味がない様子であった。
おそらく。彼らにとってはそれが日常茶飯事なのであろう。

産まれたてのヤギは、一生懸命自身の力で立ち上がろうとしている。これはスクープとも言える、産まれて1分後の仔ヤギだ。

ここにいるのは、普段は野良ヤギなのかもしれないが、かといって完全な野生動物ではない。人間にも慣れきっている。
しかし、彼らにとってはそこな安全な環境なのであろう。
親のヤギも、周りの天敵を恐れているような様子はなかった。僕が近づいても全く平気なのだ。

出発前に非常に貴重な体験が出来た。まさか、こんなところでね・・・。
さぁ、気を取り直して出発だ。村人達に見送られ、僕と梅津は一緒に砂漠へと向かった。

それにしても、松浦には悪いのだがラクダというのは非常に乗り心地が悪い。とにかく、尻が痛い。
コイツは「ひとコブラクダ」である。間にすっぽり跨がれる「ふたコブラクダ」の方が、おそらく楽なのではないかな?そんな事も知らず、松浦はひたすら重たい僕と荷物を載せて歩き続けた。

聞いた話では、この冬の時期であれば1週間飲まず食わずで走行可能だそうな。1000キロ歩くんだって!
BMW1200GS−Adventureが、33リットルタンクで連続航続距離が700キロぐらいだったような・・・。
こいつ、アドベよりもすごいんじゃん!まぁ、めちゃくちゃ遅いけどね!

2時間くらい歩いただろうか、草木やサボテンが段々と少なくなって来た。
そこで、梅津は松浦を座らせ僕を降ろした。

「今夜はココで寝よう!」

夕方くらいのまだ少し明るい時間。
僕も普段のキャンプなら、このくらいの時間にまず先にテントを張るかな!
しかし、今回はテントは無い。渡された毛布2枚だけ。僕は寝袋を持っていたので良かったが、夜はハンパなく寒かった。昼間は灼熱だったのに・・・。


梅津は夕食の準備を、そして僕は夕日の写真を撮っていた。
実に幻想的な風景であった。
考えてみれば、島国の日本に居る我々は水平線を見る事をあっても、地平線を見る事はない。
しかし、ここでは周りに視界を遮るものは何もない。

ついでに、三脚を立てて自分も入ってみた。今まで見た事無いキレイな落陽でした。
ビルも無く、山も無く、海も無い。しばらく、ぼぉ〜っと立ちすくんでしまった。


靴では歩きにくいので、僕は裸足で丘を駆け上ったりしていた。陰の部分や夜になると、足の裏がひんやりして気持ちいい。そして、砂の粒子もとても細かい。鳥取砂丘のそれとは明らかに違っていた。

日が沈む前に、我々は夕食を取る。
20も歳が離れたインド人、そりゃぁ会話が弾む訳がありません。酒もないし!
彼の作ってくれた、パスタを揚げたスナックやベジタリアンのカレーにチャパティ。
どれも美味かった。贅沢を言えば、ワインかビールが欲しかったが・・・。

19時頃には、辺りは完全に暗くなってしまった。
そして、20時頃になると梅津はもう寝ると言う!
僕は寝袋を持ってるが、彼は毛布1枚だけでしかも服はTシャツだけ。

「寒く無いのか?」
「大丈夫だよ!慣れてるから。」

全く以て、よくデキた少年だ!ラクダも自在に操り、料理もちゃんと出来る。
それに英語も問題なく喋られる。
こんな17歳は、日本にはそうそういないだろうな!少なくとも、僕の17歳の時よりは100倍立派だ。

梅津はあんな寒い格好ですぐに眠りについていたが、僕はなかなか眠れなかった。
あぁ〜、焼酎のお湯割りが欲しい・・・。
こんな場ではどうする事も出来ないので、仕方なく寝袋に入りその上を毛布でクルリ。
顔だけ出して、夜空を見上げる。

残念ながら、写真ではコレを撮影出来なかったのだが、こんなキレイな星空を見たのは初めてだ。
この世には、こんなにたくさんの恒星があったのか!改めて驚かされた。
良く、「星の数ほど」なんてフレーズがあるが、まさにそんな感じだ。
つまり、多過ぎる!360度見渡す限りすべてなのだから。

夜空に感動をしていると、知らぬ間に寝ていた。
気が付くと、辺りは明るくなり始めている。
梅津はすでに朝食の準備をしていた。僕はと言えば・・・、あっ、日の出の写真撮らなくっちゃ!
少々タイミングが遅かった様です。しかし、松浦はまだまだ眠そうです。


朝食を食べた後、大をしにトイレに行きます。
お分かりでしょうが、もちろんトイレなんて何処にもありませんし、何処でもトイレになってしまいます。

今までは、トイレでもインド式に抵抗が合ったのですが、さすがにココでは僕の不浄の左手を使いました。
後は少々乾かして、砂に埋めれば終了です。

僕の方は準備完了。
しかしラクダ二頭が、まだまだ散歩とお食事中です。
あぁ〜、その辺僕のトイレなんだけどなぁ・・・、なんて心配もしながら。

朝はゆっくりと過ごし、さぁココを後にしてまたクーリーに戻ります。

12.初体験

僕が何故、そんな片田舎のクーリーに行ったのか?
それは、デリーの偽DTTDCでのプランに遡る。色々候補地を挙げた中で、ジャイサルメールがあった。

「ジャイサルメールに行ったら、絶対にキャメル・サファリに行った方が良い!」
砂漠かぁ・・・。生まれてかつて行った事の無い砂漠に思いが馳せる。

えぇ〜、参考までにコレは昨年9月の鳥取砂丘です。砂漠ではありません!
ん〜、どうしても本物の砂漠に行きたい!!

あのインチキツアーにはのらなかったが、密かに自分の中でコレだけは何とかしてでも行こうと思っていた。
ジャイサルメールで、色んな旅行会社に値段を聞いてみる。6000ルピーとか5000ルピーとか・・・。もちろん、日帰りであれば1000ルピー以下で安いのだが、僕はどうしても砂漠での野宿も経験してみたかった。

そして、泊まっていた宿でもツアーを斡旋していた。最初は5500と言っていたが、こちらがどうしようか考えていると4000まで下がった。
でも、どうも納得がいかなかった。こればっかりは、適正価格が分からん。

結局、日本人ガイドがいるというツアー会社に電話してみた。
すると、片言の日本語をしゃべるインド人が出る。日本人じゃねぇじゃん!
あぁ、ここもヤバいのかなぁ?
電話の後、今からすぐ来ると言うので、まぁ話だけ聞いてみようと思った。

やってきたのは、いかにも怪しそうなインド人。日本人スタッフは?って聞いたら、自分の奥さんが日本人で、今は日本に里帰り中だとか・・・。
ますます、怪しいじゃん!

バイクの後ろに乗り、案内されたのはジャイサルメールの街中の建設中の家。
ここがゆくゆくは、彼らの事務所兼住居になるらしい・・・。
なんだか、話を聞いているうちに段々と不信感は消えていった。

で、肝心な値段は?4100ルピーだって。なんでそんな半端なん?
いつもの如く、値切り交渉に入る。目標は3000で!んでも、せめて4000にしろよ!
しかし、彼は一切それにのって来なかった。こんなインド人は今までで初めてだ。

よし!ここに決めよう。
うちの宿では4000って言ってたけど、なんかコッチの方が気に入ってしまった。

その後、その怪しいインド人の名前はシャイタン、今ではFacebookの友達である。ついでに日本人の奥さんも!先日の話では、無事に新居も完成し千葉から奥さんもジャイサルメールに戻ったそうな。

またまたFacebookよりパクリ!

おいおい、ちょっと待てよ!僕よりも先にスカイツリー見に行ってんじゃん!
インド人のくせに・・・。

宿には朝、迎えが来る。前金として、その場で3000ルピーを払っておいた。
まぁ、おそらく逃げられる事はないだろう。
何故だか、僕は妙な信頼を彼にしていた。

迎えといっても、原付の後ろだ。バックパックを背負ってのリアシートは、後ろにひっくり返りそうになる。常に踏ん張っていなくてはいけないのが、非常にキツかった。

他にツアー客は?
多分いる!って言ってたくせに、僕一人でした。まぁその方が僕にとっては好都合だった。
で、ガイドは当然あんたなんだろ?

「いや、僕はクーリーには行くけどサファリには行かない!」

えぇ〜、じゃぁ誰がキャメルドライバーなん?
現れたのは、17歳の少年であった。
緑のTシャツを着た彼です。17歳と書きましたが、それを知ったのはその日の夜の事です。あまりにもしっかりしていて、歳を聞いてビックリしました。彼の名はウメドゥ。

そして、僕が乗る相棒の名は、マトゥーラ。

非常に覚えにくい。僕は外人の名前を覚えるのは、実に苦手です。
では、何故覚えているのか?
勝手に名前を変えてました。「ウメドゥとマトゥーラ」を「梅津と松浦」に。
大学時代の同級生に居たので、非常に覚えやすかった。

ラクダへの荷造りも完了。さぁ、いよいよ砂漠へ向けて出発だ!

でも、ちょっと待ってくれよ!
その時、その場には他にも村人が結構いました。みんな何事も無い様に普通に振る舞ってます。

アンタら、正気か?今、目の前でスゴイ事が起きてるじゃないか!
僕は今まで見た事も無いその光景に、ただただ興奮していた。
クーリーの村人にとっては、大した事ではないにも関わらず・・・。

11.カルチャーショック

長旅を終えバス停に着くと、ココでもまた同じ様に宿の呼び込みの男達がいた。そのバスには、明らかに外国人と分かるのは僕を含めて3人だった。そして3人とも、大勢のインド人にもの凄い営業攻撃をかけられる。

えっ、ホント?シングルなのに150ルピーで良いの?

僕は一人の男に決め、そいつのリクシャーで宿まで向かった。
ジョードプルと同じく、この宿も街の中心部にあった。
へぇ〜、なかなか良いじゃん!ココに決めた!

いつもながら後で後悔するのだが、決めた後で何か支障が発覚する。
一番多かったのが、シャワーのお湯だ!
話が違う事が実に多い。
さすがに僕も懲りて、後半になると実際にお湯を出せと言うのだが、出たのはその時だけとか・・・。

そして、この宿は全くと言っていい程、お湯は出なかった。
仕方ないので、暖かい昼間のうちに水シャワーを浴びた。300円だし、しょうがないか!
まぁ、本を読んでもインドでは良くある話らしいです。
僕も最後くらいには水シャワーにも慣れてしまいました。

さて、ジャイサルメールではどこに行こう!?
ここも分かりやすく、中心部に目立つ塔があります。
大体は歩き方を見れば検討が付きます。しかし、もっと詳細を知りたいとなるとネットでの情報収集になります。
まだまだインドでは、日本語フォントに対応したネット屋が少ないので、僕はミニPCとiPadを持参して来ていました。しかし、Wi-Fiの方もあまり装備している店が少なく、iPadは宝の持ち腐れ状態でありました。

しかし、ジャイサルメールにはWi-Fi装備のネット屋が1軒だけあったんです。
周った中では一番田舎と思われる、このジャイサルメールに・・・。

僕はそこに、ほぼ毎日の様に通いました。1時間20ルピーです。
ただ、やはり通信速度は遅いので、時間はかかってしまいます。
そんな感じで、毎日そこへ行くと。
いつの間にか、僕はその辺りでは有名な外人になってしまった!
「デカイiPodを持ったジャパニー」だって・・・。

そして、そこのオーナー二人とも仲良くなった。今でもFacebookでやり取りしてます。このうちの左の方は、来年くらいに日本に来るみたいです。熱烈接待しなければ・・・。

あの時は、一緒にパーティーに行かないか?なんて誘われたり。

「デサート・パーティー」

何それ!?みんなでスイーツでも持ち寄るのか?まぁ、インド人は甘いもの好きだもんな・・・。
しかし、良く聞いてみると、

「デザット・パーティー」

であった。つまり、砂漠で飲み明かすのだとか・・・。
日本で女の子を誘うのに、河原でバーベキューしない?ってなノリなんであろうか・・・?
僕も行きたかったのだが、それを聞いたのが別れを言いに行った最終日だったし。
彼のFacebookからのパクリ写真です。
でも、結構楽しかったみたいですよ!
ってか、合コンのネタに日本人が欲しかっただけじゃねぇのか!?

話は戻って、僕のiPadについて。
新しく見る人には、一々僕は説明してました。知らない間に人が増えてるし・・・。
最後には、インド人相手にiPadの機能のプレゼンテーションを!
気分はスティーブ・ジョブズです。

「カワイイ女の子の写真は無いのか?」

そんなリクエストに、僕の2人の娘の写真を見せる。

「若過ぎるだろっ!」

ヤツらには、大爆笑であった。では、次はこれで驚かせてやろうか・・・。
みんな、ちょっと待ってくれないか!
僕はiTunesにアクセスし、ミュージックビデオをダウンロードした。
日本ならすぐに取り込めるのに、30分はかかったであろうか。

「見ろ!コレが日本で有名なアイドルだ!」

気を利かせて、水着のシーンの多い「ポニーテールとシュシュ」にした。
こいつらの為に、僕は400円も使っちゃいました。何て良い人なんだ、僕は!


数分間黙ってジッと見ていた野郎どもは、皆呆然でした。
そうとうカルチャーショックを受けた様です。このiPadとAKB48に。

「日本には、こんなカワイイ子がいるのか・・・。」
「あぁ、TOKYOに行けば、いっぱいいるよ!」

思いっきり、嘘であるが・・・。
見終わると、ほぼ全員が僕にUSBメモリーを差し出してきます。コピーしてくれ!って・・・。
その時点で、発想がインドなんですよね!

「iPadにはUSBが無いんだ!自分でYouTubeで探してごらんよ!」

言ってはみたものの、やはりインドでは回線が遅すぎて、海外の動画なんて厳しいだろうなぁ・・・。

でも、なんだか良い事をしたなぁ〜!日本とインドの架け橋になれた様な。
そんな事を思えた1日でありました。

それと同時に、IT技術の格差というのを実感出来ました。
日本ではいつ何処に居ても、必要な情報は携帯電話やスマートフォンで入手できる。
いや、それだけではない。日本で食事やトイレに困る事は考えられない。しかし、こちらではそれが当たり前。

ジャイサルメールを出る前日に、僕はクーリー村と言うさらにパキスタン側に寄った砂漠の中にある小さな街に向かった。

クーリーでは、先ほどの文明の力の偉大さを嫌という程思い知らされた。
逆を言えば、コレとコレがあれば最低限生活出来る。
そんな、極限なる原始的生活体験をしてきた。

10.インドの洗礼

ジョードプルに来て2日目。
ついにキターーーーーーーーー!!!
何がって、下痢がです。正にデリーを出て、下痢ーです。

何を食べても、おしりから水分として排出されてしまいます。
自分の身体は、一体どうなってしまうんだろう?
ミイラにでもなってしまうのか・・・?と思うぐらいに水分が抜き取られました。
持参した正露丸を飲むも、一向に治まる気配なし。終いには1瓶全部飲んじゃいました。

こんな時に、僕を救ってくれたのがバナナと日本から持って来たコレ!
極度の脱水症状時に、WHOが推奨しているORS(経口補水塩)は命の水とも称されています。
しかし、それにも断然勝るのが、日本のポカリスエットだと僕は思います。
さらに僕は合わせて、海外に行く時には非常食としてカロリーメイトも持って行きます。これもいざと言う時、非常に重宝します。
別に大塚製薬の回し者ではないんですが・・・。
日本が強いのは、車・バイクや家電だけではありませんね!

さすがにこの状態ではドミトリーはキツいと思い、シングルの宿に引っ越しました。
ジョードプルの最初の宿から移って2日間、僕はロクに外出も出来ず、ただただ市場のバナナとポカリスエットで凌いでいました。


今思えば、観光と言えば初日のフォートくらいでした。
という事で、ジョードプル・・・、あまり印象がないんです!

さて、体調も無事に戻り次はジャイサルメールに向かいます。
今度は列車ではなく、バスをチョイスしました。


この辺りから、インドの西に位置するラジャスターン州になります。
荒野・砂漠が一帯を占める地域です。
バスは5時間くらい乗っていたでしょうか。乗り心地は最悪でしたが、まぁこれがインドなのだと納得していました。それに値段も安いし。

インドではどの車もバイクも、クラクションを鳴らしまくりです。
そして、ご多分に漏れずバスもそうである。しかも、バスの場合は何だか品の無い昔の暴走族の様な音楽調になってます。パララパララ〜〜って・・・。


先ほどと同じ様な写真ですが、延々何百キロとこんな風景が続きました。


ようやく到着したジャイサルメール。ココも他と変わらず野良牛が多い。
そして、このジャイサルメールは僕にとって、インドの中で最も印象深い街であった。
出会いがあり、珍しい体験があり、そしてもちろんハプニングもあり・・・。

9.対決

存分に観光が出来たので、僕はリクシャーに乗って宿に戻ろうとした。
するとワーラーがそれを制止した。

「200ルピーなんだから、行きだけだ!帰りも乗りたいなら、もう200ルピー払え!」
「何言ってるんだ?行き帰りでって言ったじゃないか!」

さぁ、ここからが対決の始まりだ!
インドでは良くある事なのだが、後になって違う条件を提示してくるワーラーがいる。
しかし、この場合圧倒的に僕が不利だ。
観光地なので、他にもリクシャーはいるのだが間違いなく吹っかけてくる。
そして、コイツに対して僕が上から目線で行くと、本当に歩いて帰らないといけない。

どうしよう、困った・・・。

いつもの決め台詞「俺は絶対に払わん!」のフレーズが、今回は使えないのだ。
しょうがないので、僕は下手に出て100ルピー払うからと言うが、強気のワーラーは200を主張する。

「じゃぁ、間を取って150にしよう!」

もちろん、僕の提案である。強引に押し付けて、僕はリクシャーに乗り込み早く行こうと急かす。どうやら、渋々納得してくれたみたいだ。

今思い出しても、この時の対決が一番激しかったのではないだろうか?
日本円に換算すれば、100円200円の世界なのだが、インドでは実に大きい。
実際、僕の値切りを見たら他の日本人は引くでしょうね・・・。

自分でも分からないのですが、インドではたった何十円を必死にマケさせようとする自分がいます。でも、インドに来たらこうなっちゃうんですよね・・・。

戻ってくると、いつものように野良牛がお出迎えです。と言うか、どこにでも居るのですが。そして、よく見るとヤギもいます。
僕の気のせいかもしれませんが、行く街毎にどんどん動物が増えて行きます。
一番凄かったのが、ジャイプール。牛・犬・猫・ヤギはもちろんの事、目にした順でサル、ブタ、イノシシ、ネズミ、リス、ウサギ、ラクダ・・・。
ここは動物園か??ってな感じでした。

宿で一段落した後に、食を求めまた街に繰り出します。そういえば、朝に列車を降りてから何も食べてないや!
ジョードプルの歩き方はとても簡単。この中心部にある時計台を目印に動けば良いのです。迷ったら、上を見る。
そして、近くの広場で子供達が集まってます。
インドで良く目にする光景、草野球ならぬ草クリケットです。

「ちょっと、僕にも打たせてくれよ!」

快く迎えてくれた少年達。よし、ここはいっちょ日本人の侍魂を見せつけるべく、大人げないフルスイングでナイスショットを決めてやろう・・・。

本来であれば、後ろに置いてあるレンガが木の棒でできたウィケットになります。
(詳しくはこちらをご参照下さい!)

写真でバットを振りかざしている少年がボウラーに、僕がバッツマンになります。一応、1オーバーねっ!って約束でした。

少年が第一球を投げる。
僕はフルスイング。
ボールが後ろのレンガに命中し、崩れ落ちる。

要するに、1球でアウトです・・・。

思いっきり、日本の恥をさらしてしまった。
「な〜んだ、やっぱり日本人ってクリケット出来ねぇんじゃん!」
喜ぶ彼らが口にするヒンディー語の中に、そんな台詞があったのかもしれない。

あぁ〜〜〜!悔しい。

そこでは、敢えて泣きの一回は申し入れなかった。だって、またアウトになったらシャレにならんし・・・。
じゃぁ、投げてみるか?って言われたけど、パキパキに打たれたらまた格好がつかないし。
その後は大人しく、外野で見学してました。

さぁ、腹減ったしそろそろ行こう!

街の中心部付近は露店がいっぱいある。時計台の周囲は大賑わいです。
外国人達も、結構ここに足を運びます。
白人のオバちゃんが、香辛料を土産にでも買うのでしょうか?
ここにはいろいろな店があるのですが、正直あまり僕には関係ないものと思ってました。だって、食材だし!見るのは良いが、買う物は無いだろうと・・・。

結局食事はまたカレー。そろそろ飽きてきたよ!何か他の物を探さなくっちゃ・・・。
僕は朝食に食べようと思って、市場でバナナを買う。少しで良いのに1キロも!
宿に帰りながら、1本試しに食べてみる。

あっ、美味いじゃん!

意外にも、インドのバナナは美味かった。その後、次々とレパートリーを増やすがオレンジもパイナップルも美味かった。正直以外であった。

初日は、結構外に出歩いていた。それは何故か?
理由はこの写真。そう、部屋がドミトリー(相部屋)なんです。
朝の時点では、僕一人でしたが。
どんな奴が来るんだろう?若い金髪美女だったらどうしよう??
まぁ、いずれにしても僕が年長だろうし。
周りに気を使わせてはと、部屋を空けておいたのです。

夜、部屋に戻ると奥の3つのベッドにバックパックが置いてありました。
僕が寝ようとしている頃、結構遅くに帰って来たのですが、オージー青年3人組でした。

翌朝も早くに彼らは出て行ったので、彼らとはあまり話は出来ませんでした。
ジョードプルに来て2日目。さて、また一人になっちゃったし、今日はどうしようか!?

んっ!?あれ??

あれこれプランを悩みながらも、なんだか自分の身体の異変に気が付く。
僕はその後、バナナに助けられる事になる。
僕はインドをナメてたのか?いや、誰しもが通る道なのだろうか?

一難去ってまた一難とは、この事を言うのであろう・・・。